谷田貝常夫(文字鏡研究會主事/前普連土学園教頭)
定義は不可能に近い。言葉で言葉を規定しようとするからであり(悪が悪を裁くやうなものだ)、その言葉の意味の意味は何かが誰にも分明でないからである。すぐに同義反覆の無間地獄におちいつて言葉がもがきはじめることは、辭書の定義を見ればすぐにわかる。ところが欧米では、論文や契約書などでは必ずといつてよいほど、前もつて筆者なり契約者が、そこで使はれる言葉の定義付けをする。特にた民族国家では定義をして共通の地盤を作つておかないと、論は正しく理解されず、契約は守られなくなるからである。
漢字にかかはる問題も、国内だけで扱はれる分には定義がさほど重要といふこともなかつたのか、どの用語も融通無碍に共用されたりしてゐたが、現今のやうにユニコードやISOといつた形で国際的な処理が必要となると、欧米人とも関はりをもつやうになるので、今までのやうな曖昧な定義で済ますわけにはゆかなくなつたと言へよう。そこで、屋下に屋を架すことではあつても、以前に書いた文章に手を加へて筆者なりの見解を開陳することとした。
そもそも「文字」とは何なのであらうか。用語定義の前提になくてはならない問題だが、言語上の、ないし哲学的な解明はあまりなされていないやうだ。ともかく考へられるのは、文字とは意味を負ふ言葉・言語としての側面が第一義にしても、一方では、形象ないし図形としての要素が強い点だ。特に漢字を使ふ文化圏にあつては、芸術にまで高められた形象・ゲシュタルトが、言語を越えて厳然と聳えてゐる。長い歴史をもつアナログ的な書と、デジタル化をめざす近代工業による印字のはざまにあるのが、現在の漢字といへるだらう。アナログの世界とデジタルの世界を一身に背負う漢字の、一種の二律背反の状況の中で、われわれ漢字文化圏の人間は、世界的な情報化時代に立ち向かはなければならないのである。
(項目冒頭の引用は、主として大漢和辞典、字統および日本国語大辞典による)
(一) 字形
「欲書者先乾研墨、凝神靜思、預想字形大小、……意在筆前、然後作字。」(法書要録)
「石盤を用ひて先づ片假名の字形を教へ……」(夜明け前)
この二例からだけでも判断がつくのは、字を書くにあたつて、先づ頭に字形を想ひ浮かべる、意在筆前、といふ事実である。そこから、「字形」とは、
紙その他の物質に字として具体化される以前の、心の中のイメージとしてまづ立ち現はれる事実は看過できない。
「形」とは「型」であり、このふたつの漢字の字源は鋳型=範型の意味である。さうなると「パラダイム」とか「パタン」といふ言葉が想起され、英語のform、つまり、溯ればギリシャ哲学の「エイドス・形相」につながる言葉であることがわかる。ところが、字書や後掲の参考資料に「形体」といふ言葉が使はれてゐる。辞書によると「形」は「体・體」と同じとされることもあつて、漢字圈での「形」の意味には曖昧なところがあり、それが字形と字体の混同される大きな原因になつてゐるようだが、字である形があつてはじめて漢字と言ひうるので、文字発生の発端に位置するのが字形であることは、再確認しておく必要がある。
単純に図式化して示すと、人間の頭の中に或るものの視覚的、聴覚的イメージが生起したとき、その抽象化されたもの、あるいはその集合である類を概念と呼ぶのであり、ここに「意味」が生成する。その概念に人間の意識ないし無意識が特定の単語を割りふり、言葉として位置づける。漢字の場合は、ある特定の花なら花のイメージから、その類が連想され、それに「ハナ」といふ音を、あるいは「花」とか「華」とか「英」の漢字字形を結びつける。それを、外の世界に書いたり、印刷したりすることで字形は物質化すると言つてもよいだらう。
「イメージ」といふ語は便利だが難解な語である。心の中に泛ぶ像である(心像)とともに、人の外にあるものをも指す(形象)といつた二面性を持つ。「今日のあなたは、いつもとイメージが違ふ」といつた言葉遣ひは、その間の二面的な事情を端的に示してゐる。外にある形と心内の形を比べてゐるのだ。字形も、その意味からすると、心的なものであると同時に、外に書かれてゐる、あるいは印刷されてゐる形でもあるといつたアンビヴァレントな存在なのだ。この点が理解されないために、もつと曖昧な言葉「字体」を使ふ場合が多くなってゐる。
厳密に言ふと、形が少しでも異なれば、つまり字形が異れば、その概念ないし内包は異なつてくる。例へば&M004716;と国は一点の違ひで同じ國といふ意味を持つ。その&M004716;といふ字は、すでに「正字通」や「康煕字典」に載つてゐるさうだが、共産主義の中国では王を嫌つて、國構への中を今の日本で通用してゐる玉に代へた。その日本では、きれいなイメージがあるためか、いつしか玉になつてゐたものである。形が変つて、内包がふえた例の一つだ。このやうに、広い国土で使はれ、長い歴史をもつ漢字は、通時的に変形を遂げる。異体字(こちらの定義に従へば異形字といふべきか)の発生である。新しい事象の発生に伴って、その命名のために新しい漢字が造字されもしたが(造字力の強いことが漢字の大きな長所である)、この異体字の発生も漢字の字数を大きくふやしてきた。酒井洋氏(元上智大学教授)が、廣雅、玉編、廣韻、康煕字典、大漢和辞典所収の字数を幾何平均的手法で修正してグラフにしたところ、一次式に還元されて右肩上りの直線になつた。この際の「字数」といふのは「〈字形〉の数」を指す。日本や韓国、ヴェトナムなどに国字があり、中国でも地域により独特の漢字があるさうなので、漢字の字数は実際には更に多くなり、直線では示せなくなると思はれる。第二次大戦後、簡易化の名のもとに、日本でも中国でも漢字の字数を大幅にふやしてきた。字数制限どころではないのが皮肉だといふ以上に、漢字は「字形」をふやさない努力も要るのではないだらうか。
(二)字体
「字体不類隷与科」(韓愈、石鼓詩)
注:字体の点では隷書と科斗(おたまじやくし)書は類せず。
「水に融けて流れかかつた字体を屹となつて漸と元の形に返したやうな際どい私の記憶……」(硝子戸の中)
漢字の「体・體」は、「筋肉と骨」の総体を指すらしい。となると、字体や書体にからんで骨格とか肉付けといつた比喩的表現を使ふことは、定義のための用語としては不適切である(そもそも、定義や要約に比喩は使ふべきでない)。一方で、字体と書体の混同が起つたのは、この同じ「体」の字が使はれてゐることによるやうで、日本では篆隷真行草の書体を指す五体が、中国では字体にも書体にも用ゐられてきた。中国には「体用一源」といふ思考形式があつて、物事の本体とその作用は同じものであるとする考へ方が根源にある。漢詩文でも使はれ、それが連歌での体用となる。この「体用」に「相」を足したのは、確証はないが平安初期、空海の頃のやうに思はれる。『即身成仏義』などで句末に「体」「用」「相」が加へられてゐる。注だともいはれるが、以後の日本の思考形式に一つのパターンを作つたとは言へるだらう。博識な契沖にすでに「用の言を體にいひなす」などといつた用法があり、国立国語研究所の出版にかかる「分類語彙表」が、現代日本語三万語あまりを、「体の類」「用の類」「相の類」に三分類してもいる。「文体」といふ言葉も古い。すでに「無名抄」に「文躰」とあつて、今のスタイルと同等の意味で使つてゐるさうだ。そのやうなところから字体も書体も、英語でいふ
style
スタイルが意識されるので、様式とよばれる一種の全体性を背負つてゐることは確かだ。このstyle
自体、語原的には「鉄筆」の意で、書、特に石川九楊氏のいふ「筆触」が連想されるのもおもしろい。
戰後に「新字体」とか「簡体字」といふ漢字が公布されたが、国家なり、ある集団なりが約束を決め、ある方式によつて書き直した字であるので、このやうな字群を「字体」と呼ぶのが妥当なのではないだらうか。四画の草冠を三画にすると定めたことから、新字体が生まれた。あるいは言偏(
)は(
)にすると国が約束を定めたことから、簡化文字が作られてゆく。それゆゑ字体は、字形のやうに個々別々のものでなく、集団が決めたある共通の特徴をもつた字の集りと定義した方が實態を捉へていると思はれる。
(三)書体
「杜氏殺字甚安、而書体微痩」(衛恒伝)
「鉛筆だから、書体はしかと解らんが、女にしては硬過ぎる、男にしては柔か過ぎる」(草枕)
楷書を「楷書体」とは言つても「楷体」とは言はないし、行書、草書、隷書、篆書と「書」のつく名で呼ばれるので、この五体が「書体」であることに誰も異存はない。
「書」といふ字は、「聿+者」といふ字源からしても、style
と同樣、筆(聿+竹)のイメージが強く、字が具体的に実現される過程にある筆記用具や書き方を暗示する。例へば隷書は、元々は木簡や竹簡に書かれた字であるため、細長く小さい面積に限られることもあつて、字数を収めるために平らに潰したやうな字になり、また墨乗りの悪い材質に、しかも木目に逆らつて筆を止めるから、(波打つやうな払い)が生まれたといふ。書くための条件が書体になつたと言へる。
甲骨文は、青銅の刀で彫られたものらしく、元東大教授松丸道雄先生が亀甲から型をとつて反転した陽刻を見せていただいたことがあるが、その三角形の稜はまことに鋭く、直線的で、写真や図版で見る以上の迫力を感じた。一方、金文は鑄型とする粘土に彫られたものが大部分なので肥痩がなく、甲骨文と異つて曲線が多い。「宋朝体」や「明朝体」は木に陽刻してできた木版の字に由來する。かういつた作字の過程は、書体を論じるときに忘れてはならない点であらう。字は筆で書かれたばかりではないのである。
書家の中には「字体」という語を避ける人がゐる一方で、書写にかかはらない人たちや印刷に関係する人たちは、活字字体は「書体」とは違ふといつた意識を持ちがちである。だが、字を具体化する段階での呼び名とすれば、活字も写真植字も孔版もこの書体に入れられるのが本来であらう。その点で、参考資料七の志村和久氏のやうに、書体は、時代・地域・目的・用途、さらには筆記の道具を同じくする字群で、様式・パタンないしスタイルを持つものと定義できる。
(四)意匠体(書風)
「意匠(デザイン)体」といふ別項を立てたのは、以下に掲げる、『今昔文字鏡』Ver1.0(1997 エーアイネット)に添付されていた説明に見られる通りで、古家時雄氏の卓見である。
字形…ある特定の文字を他の文字と比較対象する場合などにその文字の字体的・書体的・意匠的な特徴を示す用語とする。
字体…ある書体のなかで異なる字形を持つグループをその書体の中での字体とする。
書体…筆書体、刻文、活字体など文字を表記する手法による分類を書体とする。
意匠体…字体・書体を個別的に芸術的な表現を加えて変形した字形のグループを示すものとする。

例へば現在の印刷に多い「明朝体」は楷書から出たもので、横線より縦棒が太くしてあること、終筆や角で使はれる三角形の鱗、「
」の二画目のやうな髭、本来「比」であるべき二画目を「比」として画数をふやしてゐること、などが特徴とされるが、これらは印刷された文章の読みやすさを狙つた、図形上のデザイン的な工夫である。しかも、その明朝の字は、長体にも平体にも斜体にもされる。印刷所なり出版社という集団あるいは組織による工業製品と言つたら言ひ過ぎだらうか。「書風」は、個人的な書き振りであり、個人による「意匠体」と定義できる。
「ごんべん」を例にあげてみよう。「
」は楷書体に基づく明朝体あるいは教科書体といふ意匠体であり、「
」は活字の明朝体といふ意匠体である(甲骨文や金文はこの形で、楷書より古い)。付け加へると、「
」は行書体に基づく簡体字字体となる。
いづれにせよ、志村和久氏の言を藉りて言ひなほいすと、「いかなる漢字も、書体または意匠体といふ現実にこの世に現はれた姿でなければ、われわれは漢字を認識できない」のである。
字形、字体、書体、意匠体・書風といふ関連する言葉・単語に、筆者なりの考察を加へ、一応の定義付けをした。それを下記のやうな、漢字の実現に至る流れ図にしてみた。

共通基盤を作つて大方の合意が得らるようにするための一助になればと願ってゐる。
(2001/12/15一部改訂)