持統天皇の異表記
―『百人一首』享受のこれまでとこれから―

谷本玲大

(文字鏡研究会 参事/財団法人無窮會 東洋文化研究所 研究員/茨城大学、相模女子大学短期大学部、早稲田大学メディアネットワークセンター、各非常勤講師)http://www.amy.hi-ho.ne.jp/s_tanimoto/


現代に生きる古典作品 ―『百人一首』―

 現代に到るまでの間、我が国で親しまれて続けている古典文学作品は、何であろうか。
 明治以前までの間は、恐らく『伊勢物語』もその一つであったろう。しかし、現代においては中学校の教科書で取り上げられている「筒井筒」や「東下り」の章段以外の筋を知っている方は少ないのではなかろうか。『伊勢物語』に取材することの多い謡曲が、テレビの娯楽番組に取って代わられ、一般に親しまれる機会が減少したこともその要因であろう。
 その点、『百人一首』は「現代に到るまで」という限定条件をつけても充分にその要件を満たす。
 近世に入って作品がカルタ遊びと融合したため親しみやすさを確保したせいもあろうが、現在でも中学校・高等学校などの古典教育や、書道の題材として利用され続けている。
 また、「○○百人一首」と題した撰歌集の類も歴史上、実に多く作られた。
 最近では、七万首近くの応募歌から毎年選歌される東洋大学『現代学生百人一首』 [一]が、若者の繊細な感情やその時代性を見事に映し出す時代の鏡として機能していると言えよう。

『百人一首』の難しさ

 しかし、『百人一首』がこれだけ親しまれている作品であるにもかかわらず、又、それ故に却って、学術的には研究が困難で、不明な点もまだまだ多いのが実情である。
 例えば、『百人一首』の成立に関しても、その実情はよく分かっていない。
 『百人一首』は鎌倉時代に生きた歌道の巨匠、藤原定家の撰とされている。
 これは定家の日記『明月記』(文暦二(1235)年五月二十七日条)に、「自分は字が下手だが、嵯峨中院の障子の色紙形を書くように、彼の入道(定家の息子、為家の舅である宇都宮頼綱)に懇切され、極めて見苦しいこととは言いながら書き送った。古来の人の和歌を一首ずつ、天智天皇から家隆・雅経に及ぶ。」という趣旨で書かれている記事や、定家没後百年頃に書かれた頓阿の『井蛙抄』巻六に「又、嵯峨の山荘の障子に上古以来歌仙百人のにせ絵を書て各一首の歌を書そへられたる。」とあるのを根拠にしている。
ところが、現存する『百人一首』の末尾は家隆・雅経ではなく、順徳院・後鳥羽院である。
そこで室町時代以降、これをどのように解釈するかで様々に議論がなされてきた。
 戦後になって、有吉保氏が宮内庁書陵部蔵の『百人秀歌』を発見した。これは百一人の歌を一首ずつ集めたもので、内容は『百人一首』と酷似しているが、以下の諸点が異なる。

  1. 歌の配列が相当に異なっている。

  2. 源俊頼朝臣の歌が『百人一首』とは異なる。

  3. 順徳院・後鳥羽院の歌がなく、『百人一首』にはない一条院皇后宮(定子)、権中納言国信、権中納言長方の歌三首があり、総計百一首である。

  4. 家隆の位書が従二位ではなく、正三位と書かれている。

 『百人秀歌』には「嵯峨山荘色紙形京極黄門撰」とある。「京極黄門」とは定家を指す。ここに、『明月記』・『百人一首』・『百人秀歌』の三者の相互関係に対する諸説が立ち現れることになった。
 今に至っても編纂の先後関係は『百人秀歌』から『百人一首』へという説と、『百人一首』から『百人秀歌』へ、という説とが決着の付かないまま併存しており、更に近年、吉海直人氏により『百人一首』と『百人秀歌』との中間形態を持つ『異本百人一首』(『異本百人秀歌』と呼ぶべきとする説もある)の存在も明らかにされている。
 以上は一例であるが、『百人一首』がこれだけ親しまれている作品であるにもかかわらず、学術的には研究が困難であり、そして不明な点もまだまだ多い現状の一斑は示せたかと思う。

 では、「それ故に却って」学術的には研究が困難である、というのはどのような意味か。
 古典文学作品の研究は、網羅的に関連資料を集めるところから始めるのがオーソドックスな手法である。しかし、『百人一首』が、人口に膾炙され、親しまれ続けてきたということは、それだけ関連資料が多いことに直結するのである。
 例えば、吉海直人氏が暫定的なものとして公表された調査結果(「百人一首類書刊行目録稿」(『調査研究報告』第八号,九号 国文学研究資料館 1987.3,1988.3))に拠れば、百人一首の古注釈書類が一二六種、明治以降の現代注釈書類が二六〇種を数える。これは「変わり百人一首」や「もじり百人一首」などはもちろん、百人一首の伝本そのものや複製も省いた数字である。
 ある一首の歌を解釈・注釈しようとした場合、本来的にはこれら総てを参看し、それらの諸説に敬意を払いつつ、自身の読みの態度を決定せねばならない。上記の注釈書の他、個々の歌を扱った論文をも参看せねばならない。厳密な研究を行うためには膨大な資料調査が必要になってくるのである。

持統天皇の「統」の字

 さて、このように様々な難しさを持っている百人一首であるが、ここでは「持統天皇」の表記に注目してみたい。ただ、先述したとおり、厳密な検討には膨大な労力が必要である。今は粗々の調査に基づいて述べるに留めたい。
 現存最古の『百人一首』の注釈書『百人一首抄』[二] (応永十三(1406)年、藤原満基写。「百人一首応永抄」と通称される。)に「持天王」とあり、色紙和歌』[三]も「持天皇」[四]とある 。
「王」は「皇」と音が通じるので宛字として用いたものであろうが、「」は「エン」であり、不審である。
なお、宮内庁書陵部蔵『百人秀歌』 [五]にも「持天皇御製」とあり、『異本百人一首』に属する大阪市立大学森文庫蔵・万治三(1660)年・里村玄陳写『百人一首』 [六]でも定家様の書体で「持天皇」とある。
 以下、大学図書館等で比較的容易に参看できる書物、総計約九十六種(活字翻刻本に拠ったものもある)の範囲での調査では、京大本『百人一首聞書』 [七]に「持天皇」、『小倉山庄色紙和歌抄』[八] に「持天皇御製」、『[頭書万宝]百人一首大成』 [九]に「持天皇」とあって「ぢとうてんわう」とかなを振り、「」の字の読みに「とう」を宛てている。また、『百人一首基箭抄』 [十]には「持天皇」(文字鏡にナシ)とあって「ヂドウト濁テヨムナリ」とある。

図 京都府立総合資料館蔵 天正八年写本『百人一首註』[十一]
(目録番号 0468)(http://www3.library.pref.kyoto.jp/index.htmlより閲覧可能)

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『今昔文字鏡』で「」の字の異体字(027447,055037,027484,051849,084446)、「」の異体字(027560,027382)、また、それらの類似字形(027619,027503,083860)を調べてみると、次のようになる。

027447 027484 055037 051849 『直音篇』
(文字鏡にナシ)
084446 027560 027382 『廣韻』
027619 027503 083860 『龍龕手鑑』
(文字鏡にナシ)

「統」は宋本『廣韻』では去聲二宋の小韻代表字。「也、紀也、又姓。他綜切」とあり、音は「他綜切」なので「トウ」である。「」は、宋本『廣韻』上聲二十八、小韻代表字「」(「以轉切」)と同音なので、音は「エン」。重訂『直音篇』巻七・糸部に、糸篇に「」の字形が異体字としてあり、音は「演(エン)」である。
一方、「」の字は、宋本『龍龕手鑑』巻三一九オ・上聲に「於遠反、衣也」として「(文字鏡にナシ)の字形が掲げられている。音は「於遠反」であるから、「エン」であろう。
以上から考えると、「統」の異体字「(トウ)」と「(エン)」の字形類似が介在して、(エン)」という表記が行われたのではないかと思われる。
想像を逞しくすれば、或いは「春過ぎて」の歌が「衣」を歌っている故に、意味を「衣也」と示される(エン)」の字が使われたのかもしれない、などとも思えなくもないが、今は断定を差し控えざるを得ない。
なお、「よみ」についても一言すれば[十二]、先述したように、「」の音は「エン」である。応永抄の伝本によっては、「チエン」と仮名がついているものもある。その他の『百人一首』関係書では「チエン」というよみ方を指示しているものは見いだせなかったが、『百人一首幽齋抄』[十三] や『百人一首基箭抄』では「ぢどう」と「ト」を濁って読むように指示されており、「チ」についても清濁二説があったようである。
 例えば、戸田茂睡『百人一首雑談』[十四]に「ぢとう天皇と、ちの字濁りてよむべし。ぢどうと二字ながら濁り、亦、ちとうと二字ながらすむ共いふ。」、江戸期の国学者、多田南嶺の講義録『龍吟明訣抄』[十五]に「師云。二字ともに濁へし。(中略)又云。惣して天皇の御名、女帝の分は濁らるゝ分は濁るへし。故実云々。」、『百人一首和歌資譚』[十六]に「ヂドウトヨムハヨミクセナリ。又チドウト持ヲ、スミテモヨムナリ。」、『百人一首師説秘伝』[十七]に「にこりてよむ智なり。」、『百人一首解』[十八]に「持統」の部分を「中院通茂公、上清下濁。」とするなどの説がある。

和歌の秘伝

 『百人一首』は定家の流れを汲む歌道諸流によって和歌秘伝の書として尊重され、数々の秘伝書、注釈書が生み出されていったのであった。
おそらく、これら「統」の字の異表記や読み癖なども、その伝統の中にあるものであろう。
『百人一首』に限らず、いわゆる和歌秘伝の中には、非科学的で荒唐無稽な説もまま見られる。
これら中世以来の秘伝が何故に行われ、それらの説がどのような流派を為したのか、その消長の足跡を丁寧に辿り、また『百人秀歌』との先後関係など『百人一首』が本質的に持っている謎に迫ってゆくことがこれからの研究で重要となってくるだろう。

『百人一首』関係の書籍

 近年は、地方自治体や大学によって生涯教育活動が熱心に推進されており、市民講座や大学の公開講演会、公開セミナーなどでも『百人一首』が取り上げられることが多い。
 『百人一首』の入門書としては『百人一首への招待』(吉海直人著・ちくま新書182 1998/12 660円)がある。本文と現代語訳、注釈を簡便に見るには『百人一首』(有吉保全訳注 講談社学術文庫614 1983/11 1200円)や『新版 百人一首』(島津忠夫訳注 角川ソフィア文庫 1999.11 571円)が入手しやすい。『百人一首』に関する最近の研究を、初心者でもわかりやすく俯瞰できる書物には、『[セミナー:原典を読む六]百人一首―定家とカルタの文学史―』(松村雄二著 国文学研究資料館編 平凡社 1995/9 1942円)や『別冊国文学 百人一首必携』(久保田淳編 学燈社 1993/6 1699円)がある。主要参考文献や論文などは『百人一首研究ハンドブック』(吉海直人編・おうふう・1996.4・2136円)にリストが挙がっている。
 これら入手容易な書物で知識を仕入れてから聴講すれば、受け身の立場を越え、充実した知見を得られるはずである。


1.『現代学生百人一首―学生短歌傑作500選―』(東洋大学現代学生百人一首編纂実行委員会編・学生社・1989.8)、『青春みそひと白書―「現代学生百人一首」傑作選―』(東洋大学編・読売新聞社刊・1997.4)、『空に描(か)いた歌』(俵万智撰・角川文庫クラシックス・1998.4)、"One hundred tanka by young students today / edited by One Hundred Tanka Selection Committee"(translated by Naoshi Koriyama in collaboration with Joseph J. Dilenschneider. 東洋大学・1999.10)などを参照。また、入選作品は、返信用封筒(A5版冊子が入る大きさのもの)に一六〇円切手を貼付し、住所・氏名を記入の上、〒112−8606 東洋大学広報課「現代学生百人一首」冊子希望係へ送れば入手可。

2.『[笠間影印叢刊十三]百人一首抄―御所本―』(藤原満基筆、久曽神昇・樋口芳麻呂編・笠間書院・1971.12)

3.『[影印校注古典叢書五]小倉山庄色紙和歌(百人一首古注)』(有吉保、神作光一校注・新典社・1975)

4.以下、行草交えて書かれているものも多いため、糸偏の「」と「」とは包摂して述べる。

5.『[笠間影印叢刊十一]百人秀歌―御所本―』(京極黄門撰・久曽神昇編著・笠間書院・1971.12)

6. 『[セミナー:原典を読む六]百人一首―定家とカルタの文学史―』(松村雄二著・国文学研究資料館編・平凡社・1995.9)所載影印による。

7.『[百人一首注釈書叢刊二]百人一首頼常聞書・百人一首経厚抄・百人一首聞書(天理本・京大本)』(有吉保・位藤邦生・長谷完治・赤瀬知子編・和泉書院・1995.3)の翻刻による。

8.『百人一首集』(綿抜豊昭編・桂書房・1995.3)

9.『[影印本シリーズ]百人一首大成』(有吉保編・新典社・1994.10)

10.『[勉誠社文庫四四]百人一首基箭抄』(井上秋扇著・ 小林祥次郎解説・勉誠社・1978.9)

11.同館ホームページ解説に「奥書によれば、本書は天正8年(1580)4月、柳暗斉が宗祇の百人一首の注釈(宗祇抄)を書写したものか。」とされるもの。

12.声点(イントネーションやアクセントの注記)については、今は触れない。

13.『[百人一首注釈書叢刊三]百人一首注・百人一首(幽斎抄)』(荒木尚編・和泉書院・1991.10)

14.『戸田茂睡全集』(戸田茂睡著・山田安榮他校訂・国書刊行会・1969.11)

15.『[百人一首注釈書叢刊十一]龍吟明訣抄』(多田義俊述・谷澤而立輯、島津忠夫・田島智子編・和泉書院・1996.10)

16.『碧冲洞叢書』第十三巻(簗瀬一雄編著・臨川書店・1995.12〜1996.2)所収。

17.『[百人一首注釈書叢刊十四]百人一首諺解・百人一首師説秘伝』(今西祐一郎・福田智子・菊地仁編・和泉書院・1995.10)

18.『荷田全集(復刻版)』第七巻(官幣大社稲荷神社編・名著普及会・1990.12)所収。

付記:本稿を為すに当たっての諸本調査では、上安広治氏より多大な恩恵を被った。
また、京都府立総合資料館所蔵の資料を掲載させて頂いた。記して謝意を申し上げる。
なお、『今昔文字鏡』未登録の文字については、許諾を得た上で96dot画像を合成して使用した。

(2001年8月20稿。12月15日関係書籍紹介部分に加筆。)


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