契沖學の原點
吉原榮徳(契沖研究會會長/園田学園女子大学名譽教授)
契沖
が從來なかつた文獻學的實證法による注釋書 『萬葉代匠記』
などを 著 し、 歴史的 假名遣
(契沖假名遣とも)のテキストの 基 をなす
『和字正濫鈔』
などを書き、中世的古典研究の歴史を變へた事實や功績は永遠に評價されるべき劃期的なものであつた。
しかし、それらは天與(てんよ)の才能だけによつて成つたものではなく、長い佛教學(特に 悉曇
學)の研鑽の積み上げが基底にあつて成つた事を見落してはならないのである。
契沖の學問の原點
契沖は三七歳の時、始めての著作 『正字類音集覽』
上・下卷を刊行する。刊記には「 延寶
四年(一六七六)八月日 空心記之」とある。 空心
は契沖(通稱)の法号(出家受戒の時に授けられる名)である。その内容は、「以 以兮異聿衣伊域揖郁育役繹牾奕易壹逸一乙佚協笹環邑憶」「イイ 義… イウ 由… イユ
聿… イユン雲… イヱヱ 耶… イヱン 顏… イユイ 魚…」などと 唐音
(江戸時代に長崎を通じて傳へられた中國の 明 から
清
の初期の中國語の發音)の假名表記について、漢字約三五〇〇字を「伊(い)・呂(ろ)・波(は)」順に分類したものである。
當時契沖は、 和泉 の 萬町
(大阪府和泉市萬町)の 伏屋家 に寄寓してゐた頃で、「
儀軌
」(密教で、佛菩薩、諸天などを念誦・供養する方法や規則。またそれらを記した典籍)の筆寫・校合の活動が本格化し始める頃である。安藤爲章の 『
圓珠庵 契沖 阿闍梨行實
』には、「師儀軌二百餘卷を寫し、和州生駒寶山寺に納む」(原典漢文)とある。現在も寶山寺には九八册(中三册欠)が保存されてゐる。
契沖は、この「儀軌」の筆寫に際して、原本としたのは、そのほとんどが師匠といふべきか、法友といふべきか當時河内の延命寺(大阪府河内長野市神が丘)の住職をしてゐた淨嚴(覺彦(通稱)の法名)
の筆寫本であった事は、契沖筆寫の「儀軌」の奧書に記された通りであるが、その校合は「 高麗印本
」や「 大明
印本」によるとの識語から見て、『正字類音集覽』は、「儀軌」の研究の爲に作成されたと 爲得るやうである。
契沖の學問研究は、眞言僧として當然とはいへ、このやうに「儀軌」そしてその研究の爲の「陀羅尼」(悉曇=梵字・梵語。インドのサンスクリット語及びその漢譯語)の研究に始まる事を先づ確認しておかねばならないのである。なほこのやうな用字一覽を作るのは、貞享二年(一六八五)五月一二日成立の『正語假字篇』や、元祿四年(一六九一)三月成立の『和字正韻』が執筆中の『萬葉代匠記』の研究(自分及び後學の爲の)の便覽として作成したのと目的や用途などその
型 が同じである。
契沖の古學研究の根本理念
契沖の著述になる注釋書『萬葉代匠記』や國語學書『和字正濫鈔』などを見ても「悉曇」「陀羅尼」などの文章を多く目にする。
『和字正濫鈔』の漢文の序には「心に 於 いて
僞 はり無きを 末古古呂
と曰ひ、言に於いて僞はり無きを 末古登 と曰ふ。 信
以 て五常を 串
ぬく。信は誠なり。人言を信と 爲 るに、誠も
亦 言なり」とある。「 五常
」は儒教で、人が常に行ふべき仁・義・禮・智・信の道をいふのだが、それらを通底するのが「信」(僞はりのない事。誠)であるとする。從つて「 眞心
」も「 眞言
」もその同根は「誠」となる。契沖の學問において、その故に先づ言語が正しくなければならないのである。契沖は、その範を未だ汚染されてゐないと考へる萬葉時代の音聲や文字に求めたのである。
ところで、この契沖の言語に対する基本理念は、 歸依
する空海が『大日經』の思想を 敷衍
した『聲字實相義』(一卷)、「聲」は音聲、「字」は文字、「實相」は本來の姿、眞實をいふのだが、その教義の影響を受けたものだらう。
空海の持ち歸つた 『大日經疏』 (二〇卷。
善無畏 (六三七〜七三五)が講讀し、
一行
(六八三〜七二七)が筆録した『大日經』の註釋書)には、「世間の文字語言は實義なるを以つて、 是
の故に如來即ち眞言の實義を以つて、 之 を
加持
したまふ」(原典漢文)などとある。「實義」は眞實、「加持」は加護の意。また『萬葉代匠記』(初稿本、惣釋)にも、 「 如義言説
は、無爲の眞實にかなふ」などともあるやうに、本來人間社會で用ゐられる文字・言葉には眞實があるとするのである。しかし、その文字・言葉に眞實の失はれてゆくのは、人間の無知や墮落が原因すると契沖は考へるのである。(『和字正濫通妨抄』)
『萬葉代匠記』(精撰本)の「惣釋」の最後にも「サレバ聲字ノ下ニ<必ラズ>實相<アリ>聲字分明(ぶんみやう)ニシテ實相顯ハル。此故
ニ和歌ニモ 先 假名を 能辯
マヘテ 後文義
ヲ尋ヌベシ」と記してゐる。音聲や文字の中には、必ずあるがままの姿、眞實があるのだから、先づ音聲や文字を明らかにする。さうすれば眞實は 自
ら顯はれるのである。從つて和歌においても先づは音聲・文字を正し、
次いで「文義」表現と内容を考察すべきだと古學を究める爲の思考体系「古語―古義―古意―(古道)」(後進の國學者達もこの方法で古道を求めた)と段階を踏む手順の合理的效用性を論じてゐるのも、その理念は眞言宗の教學、特に空海の理念に發するとすべきだらう。
契沖の實證法
契沖は古學を實證する方法においても、例へば蓮根の古名「 慯
」が橘 成員
の定家假名遣による『倭字古今通例全書』に「はゐ 慯 繭ニ作ルニ同ジ。蓮の弱根を云」とあるのを論破するのに、三つの證明法を記してゐるので次に示すと、「はゐ 慯 今云、倭名ニ、
波知須乃波比 と注し、延喜式第三十九内膳式云、 荷葉稚
葉七十五枚。 波斐
四把半云云。又後撰集に、はちすのはひにぞ人はおもふらん世にはこひぢの中におひつゝ。袖中抄に、顯昭、わろき身をばちりはひのごとくおもはるゝ心に釋せらる。<蔓荊、はまはひ>。然れば、和名、延喜式の文證、灰の假名の例證、はふ故に名づくる理證、現在なり」(『和字正濫通妨抄』二)とその誤りを證明するのに、その資料を同時代乃至前時代に求めた
「文證」
(『十住心論』などにその用語が見える)、時代は下るが、古來の正しい用法による資料(契沖は『源氏物語』などの書かれた平安中期頃までのものと考へてゐたようである)による「例證」(『即身成佛義鈔』などに)、論理的に證明出來る「理證」(『倶舍論』などに)と三つの證明法によつても、それらは「現在なり」、現にあつて明白であるといつてゐるが、これらの用語も、またその證明法(
引證
)も經典の研究法に習つたと思はれる。ともあれ、契沖はこの三つの證明法を驅使して契沖學を經ち上げたのである。
なほこの 「引證」
の作業は、「憶説・妄談」を排除する方法で、それはまた 「理」
を導く唯一の道であつた。契沖はその延長線上に「誠(眞)」が顯はれると確信してゐたのである。
以上のやうに契沖の學問の理念や研究法に、佛教、特に眞言の教學、悉曇學が色濃く 染付
いてゐる事を確認しておかねば、契沖の可能性や限界など契沖像や契沖學の正しい理解が出來なくなるのである。もつとも契沖學は著述の過程において進化してゆくのであるが。
[UP] / [NEXT]