谷田貝常夫 (文字鏡研究会主事)
「文字」は「言語」について語る上でかなり重要な要素であるのに、内外共に言語学の立場から本格的にとりあげた論文にはほとんど接していない。そこで、提起されるであらう「文字論」に関し示唆できる点、ないし思い付いた点を書き留めたいと考えた。「覚書」と題する所以である。
聖書ヨハネ伝福音書の冒頭文「太初に言(ロゴス)あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は大初に神とともに在り…」は、こと言語に関してよく引用されるところだが、「言葉は神である=神は言葉である」とする宣言は、人間は言葉を使ふことで人間として存在しうるのであるから、〈人間は万物の尺度である〉としたプロタゴラス流のストア派的思考回路の産物と言えそうだ。プラトンなら言葉はアプリオリなものだとするだろうが、そこで思い直すと、語彙の概念、文法の概念はアプリオリなものだが、その発現である、発声された言語や文字はあくまで人間が作ったといってよいのではなかろうか。ただ、ひとたび作られた言葉は、個々のものでありながら全体のものであるというラング的存在にたち至り、見えざる手で変貌してゆくというアイロニーをひそめていることは指摘しておきたい。そのような内包を前提として「言葉は人間が作った」とするのが筆者の立場である。
動物は無意識的な本能の世界に栖んでおり、言葉はほとんど持っていない。神が動物には言葉を与えなかったのだろう。人間だけが言葉を使うことができるにしても、言葉を操れるようになって始めて人間になったともいえるだろう。現在の研究では人類は二五〇万年前に誕生したとされているが、ホモ・サピエンス(智慧ある人)が出現する四、三万年前までは、発声器官が未発達で、意味上の区切りをつけられなかったと推定されている。とはいえ、ネアンデルタール人がコミュニケーションをしていたことは確かで、その際、行動する上で最大の力があったのは「模倣すること」だったようだ。
そのあたりから、ことばが模倣から生まれたものであり、擬声語、擬態語から発達したことは容易に想像される。人間が自然の事物を真似ることで、代替の音声を意識的にパターン化し、つまり記号化することで伝達の手段としたといってよいだろう。人類は、長い無文字の、音声言語のみの集団で人口を増加させ、ことばを発達させ、語彙をふやしてきた。現代の人間はその延長線上にある。
言葉の中でも「文字」が出現するのは人類の歴史の中では極々最近のことで、今から五〇〇〇年ほど前、シュメールの絵文字からだとされている。詳細は不明としても、その頃に強大な集団社会が成立し、その共同体を存続させるためのリーダーが生まれたことは間違いない。そして集団のための神話、祭典、集会のために詩的な文語が生まれ、そこから文字が発生したと考えられている。文字はまず文語文のためにあった。その典型がエジプトの聖刻文字(hierograph)で、当時の人間社会を統合した王と、その王権を成立させた宗教的権威が必要としたために文字が創作された。
最初に作られた文字は絵文字(pictograph)といわれ、ある概念をひとつの絵におさめた、典型的な表意文字(ideograph)である。、絵とはいえ、書く人によって形がちがっては伝達のための記号とはなりえない。それなりの、他人にも理解されうるパターンにおさまったとき、それは絵文字を拔け出て「象形文字(hierograph)」と呼ばれる。
「象」の訓は「かたどる」で、形を真似るの意であるので、模倣が当時の文化の中心にあったことを十分にしのばせるが、筆者としては言語的な意味合いを持たせて、音声言語の誕生の際になぞらえ、「擬形文字」(形をなぞった文字)と呼んだらどうかと思っている。人間による意識的な記号化の始まりだからだ。同様にして、六書で「指示」とされるものも、「擬態文字」と呼んだ方が音声言語との対応が明確となる。新しい命名だが、漢字を見ているとその方が理解されやすいのではなかろうかと思う。
| 【擬形文字】 | 疑 ← |
(甲骨文・人が杖をついて後を見ている姿) |
| 【擬態文字】 | 上 ← |
(掌の上を指しているところ) |
おそらく蒼頡が始めて漢字を作ったという伝説は、鳥の足跡からという話は別にしても、一面の真実を伝えていると信じられる。伝説と片付けられていたトロイの故事がシュリーマンによって実証されたようには物証が見つかりそうにないが、王の命令で特定の人間が文字を作ったことは、ものの本による以下のような例からも類推できる。
たとえば蒙古文字は、チンギス汗が文字のないことを不便とし、部下にウィグル語を学ばせた上で独自の文字を作らせたものであるし、元のフビライ汗も、チベット仏教の法皇パスパに命じて、グプタ文字、チベット文字の系統につながる蒙古新字を作らせている。ハングルも、契丹文字などの影響はあるにしても、李朝第四代の王世宗の命によって表音文字として創作された。極端な例が周知の則天武后文字だ。字数は一一〇字ほどで多くはないが、強大な皇帝権限で自作の文字を世に通用させた。あるいは甲骨文を見ても、日付にかかわる序数詞などが整然と用意されている様が、誰か創造的な人間が作ったものであることを暗示させる。荻生徂徠は、真に創造的な人が聖人なのだと考えつき、その観点からの古典解釈をしたが、その伝でゆくと、甲骨文は聖人が作ったことになり、あるいは蒼頡がその聖人だったのかもしれない。
ISO(世界標準化機構)の定める文字の中に「キリル系アルファベット」がある。これはビザンツ皇帝ミハイルがキリルに命じて作らせた「スラブ人用のアルファベット」文字である。キリルとその兄は簡単にキリル文字(実名はグラゴール文字)を作りはしたが、その普及にはたいへんな苦労をしたようだ。ギリシャ語からキリル文字への翻訳をしたり、教科書を作ったり、あるいは学校まで作ってキリル文字の普及につとめた。皇帝の力も中国のように強大ではなかったこともあったろうが、大勢のスラブ人に使わせようとするのが目的だったからこその創作文字普及努力だった。
ひとたび文字が創造されるとそれ以後に文字が急激に増加してゆくのは、不特定の無名な個人たちによるものが多いからで、無名ゆえ、文字は自然発生的にふえたと思われがちだが、事実は個々人によるものだ。隣接する他の言語地域の人たちが祖語ともいうべき字を改変してゆく動きも文字をふやす理由となりえ、この場合、表意文字が表音文字化することが多いようで、日本の仮名などがさしずめその適例である。
たまたまトリオ・ロス・パンチョスの「富士山」といふ歌を耳にしたことがあるが、その日本語の歌詞では、「フジヤマ」であるはずを「フジジャマ」と歌っていた。[YA]が[ジャ]となっていたのだ。スペイン語では[JAPON]が[ハポン]と発音されるように、日本で使われるローマ字と同じ声価を持ってはいない。中国大陸の発音でも同様のことが言える。[JIE]を[チエ]、[QU]を[チュ]と発音させるのは、ローマ字を使っていって足りなくなり、余りの字、JやQを適宜、つまり恣意的に充てたからだと聞いたことがある。
つまり、文字と音との結びつきには必然性がない。文字はあくまで形をなぞるものであって、文字が音をまねられるわけではない。言語に深い考察を加え、それがために決定論的な立場を排して矛盾をもおそれなかったフェルディナン・ド・ソシュールは、しかし再三にわたって記号の、言語の恣意性を説いている。記号(文字)と、その記号によって示されるものとの間には連関がないという主張だ(たとえば『ソシュール講義録注解』)。これは少なくとも「文字と音との間」では真実といってよいだろう。人間が文字を作り、人間がそれに恣意的に音を当てたのに違いない。西田龍雄先生はそのことを遠慮勝ちに次のように述べている。「先に字形を考案して―その字形に言葉を当てはめていって一つの文字体系が成立したのではないか」(『文字贔屓』)。漢字の字源を知るのは容易なことではなさそうだが、その方法の一つに音から字義を明かそうとする「単語家族」説がある。しかし白川静先生はこの説を完全に否定し、「文字は、音を示すために作られたものでなく、ことばの意味を示すために生まれたのである」(『文字逍遥』)と主張している。この意見は、実は夙に橋本進吉博士が披瀝しているところだ。「言語は意志を交換し思想を傳達する爲のものであるから、その目的とする所は意味に在つて、音聲や文字に無い。…單なる音は意味をもたず、語を構成してはじめて意味がある…」ローマ字は表音文字と呼ばれるが、そのローマ字とて音通りではないし、何字かを集めて語としたときに始めて意味を示すことになるのだ。
現在、環太平洋地域で亡びつつある言語を、日本中の大学が共同で大規模に調査研究をしていると聞いているが(一つの言語が亡ぶのは実に早いそうだが、西夏文字の例からも納得ゆく話だ)、そのような無文字社会の言語は、音声がまずローマ字に写され、ローマ字で無理なときは国際発音記号(IPA)で表記すことにしているようだ。科学技術が進歩しレコーダーなどの録音技術はかなりの発達をとげていても、機械には限界があることをこの調査は示している。たとえば意味を持つ舌打ち音にも何種かあって、機械では識別できず、つれて保存もしかねるもののようだ。言語は声によるもので、文字は言語ではないと主張する人がいるが、この調査方法からもわかるように、言語音を文字なり記号なりに写すのが科学的とされるのである。瞬時瞬間に消えてしまう音声であるがゆえに、保存、推定は文字に依存しているのだ。古代の音韻を誰が耳で聞いているであろうか。文字からの推定によらざるをえないのはアイロニカルな真実だ。