チャールズ・ミュラー(東洋学園大学教授)
http://www.human.toyogakuen-u.ac.jp/~acmuller/
この5年の間に、東アジアの文学や歴史、哲学、美術、宗教を研究する者にとっては、徹底的で劇的変化を最終的にもたらすやり方が始まったことを目のあたりにしてきた。
文書をデジタルなものとして収録し、検索し、表示することを可能としたコンピューターのもつ有用性が、印刷術の発明といった以前の伝達媒体による座標軸変換よりずっと大きな変身を遂げさせたのである。
今では、自分の研究対象を分析のために画面に置き、ある単語や熟語の意味を知りたいと思った時には瞬時にして、デジタル辞書で探し出すことができる。
また、そういった単語や熟語が文書資料のどこにあるかを速やかに決定することができ、原典にあたることもできる。
このような可能性があることは、前近代や古典的文書の翻訳をしているわたしのような者にとって、特に貴重だ。
原文がコンピューターの画面にありさえすれば、関連する情報がすばやく、容易に探し出せることは、紙の参考文献を使う旧式な作業方法を急速に没落させてしまった。
そうは言っても、これは一番うまく行っている場合の話である。
それどころか、多くの個人や組織のすぐれた努力にもかかわらず、東アジア諸地方の文化研究、特に前近代の文化研究に対する文献資料のほんの一部分しかデジタル書式に乗せられていないのが現状である。
現在のところ、中国の大規模文字資料の重要なものは、中央研究院[1]や高麗大蔵経(ソウル)[2]、中華電子佛典協會CBETA(台北)、SAT[3]にあり、様々な版の中国仏教教典が急速に利用可能な状態になっている。
しかし、東アジアの古典文献に含まれる宗教、哲学、歴史、文学の原典の総体に想いをいたすとき、現代に通用するように電子化されているものは、まことに些細な部分にすぎず、まだ始まったばかりの段階である。
そこで、わたしのような学者が、デジタル化した書式の原文を使って研究したいが、まだ存在していない場合、机の上にコピーを置いて研究する「古いやり方」に戻るか、OCRや手入力によって自分で原書をデジタル化するか、といったジレンマにおちいることになる。
最近、わたしがつきあたったこのようなジレンマの最適な事例は、後期高麗の鄭道傳Chŏng
Tojŏn
による新儒教の立場からの反仏教論争作品『佛氏雜辨Pulssi
chappyŏn 』を訳そうと決めた時である。
さっと検索をして、この作品が電子化されていないことを確かめた後、旧式の翻訳方法に戻るべきか(そうすると、わたしが苦勞して作ってきた辞書や、その他の現在使用可能な電子的なツールは事実上使えなくなってしまう)、あるいはわたし自身が原文を入力しなければならないか、のどちらかのやり方を選ばざるをえなくなった。
わたしの所持している版本は後期高麗の書体で書かれていたので、スキャンすることもOCRにかけることも出来ず、15ページにわたる漢文をゼロからタイプする仕事に直面したのである。
2年前だったら、わたしは多分その仕事をしようとはしなかったろう――主たる理由は、普通の文字なら発音から簡単に入力できる一方で、わたしが発音を知らないか、あるいは知っていてもわたしのIMEユーザー辞書に登録されていないような、多くの古くて難しい文字ととりくむにはたいへんな時間がかかる、という以上に、その仕事がやっていられなくなるというのが事実だったからである。
ユニコードにも、おそらくは諸橋大漢和にも含まれていない極端に稀にしかでてこないような文字を見つけ出す仕事は、もっと始末がわるかろう。
しかしながらわたしは、その原文すべてを2週間ほどで入力したし、不明な文字はただの一つであった。
どうしてそんなことが可能だったのか?
今昔文字鏡のおかげだった。
文字鏡を使うと、発音を知っている漢字からその一部を借りることで、難しい字をすばやく見つけだすことができた。
文字鏡の照合ソフトは、既知の漢字を貼り付けておいてから、それを構成部品へと、段々に、あるいは一時に分解する。
その部品がまた、次の文字を検索するための元字として使われ、そうして行くうちに本文の中に貼り付けることができるようになる。
文字鏡は以前に探した漢字を記録しているから、2時間たって同じ難しい字にぶつかっても、もう一度検索したりする必要はない。
[部品履歴]の窓へ行けば、その文字がまた引き出せるのである。
このような特定の作業に文字鏡を使うことの最大の特典は、わたしが使える範囲でのどの辞書にも載っていないごくごく稀少な文字を突き止められることにある。
原典の本文から決めることのできた構成部品をとり出すと、文字鏡は図形的に関連する漢字を幅広く提示してくれるので、その中から必ずや探している文字を見つけることができる。
ほとんどの場合、わたしの探していた漢字は、特に珍しいものではなく、よく知っている漢字の風変わりな異体字であったりした。
さらに、文字鏡は一式揃ったトゥルータイプのフォントなので、そういった異体字を原稿に貼り付けられ、後になって自分の翻訳を出版したい折には印字も可能なのである。
わたしたちは、基本的には難しい文字を見つけ出すために文字鏡を使っているのと同様の考え方で、東アジアの仏教経典関連著作の索引を電子化する仕事[4]にも文字鏡を全面的に使ってきた。
役立ったという点から文字鏡で付け加えるべきは、文字鏡研究会のチームが示してくれる熱心な協力の姿勢である。
二、三の大きな辞書で索引を電子化している途中で、まだ文字鏡フォント集に入っていない漢字が50ヶほど出てきた。
その文字の画像と発音の情報を送ると、文字鏡研究会では、すぐにフォントを新しく作り、文字鏡のシステムに組み入れてくれた。
文字鏡のチームは、同様にしてCBETAとSATに手助けをしてきたのである。
このような方法によって、文字鏡プロジェクトは、無料公開と協力作業の姿勢を貫いて、学問の世界にはかりしれない奉仕をしている。
文字鏡は、われわれが全面的に支持してゆくに値する存在なのである。