小池和夫(株式会社 聚珍社 エディター)
「晝眠夕寐」(チウミンセキビ)。
『千字文』の中の言葉です。
『千字文音決』の読み方では「チウメンセキミ」。
その字の通り、ひるねするときとよるねるとき、の意です。
何だか、「時々起きて居眠りをする」といふ狂歌を想ひ出します。
さて、『千字文』の壹千字の内、五百六字は今も小学校で教へる字です。
「晝眠夕寐」の四字でも、「夕」は一年生に、「晝」は「昼」として二年生に配當されてゐます。
「眠」は小学校では教へないが、常用漢字です。残る「寐」だけが今では見慣れぬ字となつてゐます。
しかし一昔前には、この字は極々普通の漢字でした。
例へば夏目漱石の小説などには、寐る、寐轉ぶ、昼寐、寐巻、寐床などとこの字が頻出します。
當用漢字の施行されるまでは、「ねる」といふ訓を當てる漢字の第一番にこの字があつたのではないかと思ひます。
「寢」は如何にも六ツかしい字ですから、「寢臺」「不寢番」「寢殿造」など「シン」と音読みする場合を除けば遣ひたい氣の起らない字です。
「ね」と読ませるなら「寐」の方がずつと簡短で書き易い。
ところが、當用漢字で「寢」を「寝」と略し、これに「ねる」の訓を當てて「寐」が切り捨てられた所爲か、今では誰も「寐」を遣はなくなつてしまつた。
と、書いてきて、漱石の遣ふ「寐」の字をずらずらと擧げてみようと『青空文庫』で檢索してみると、これがまるでヒットしません。
やつと見つけたのは「寤寐の境」(『草枕』)くらゐで、あとは「寝る間も心配」「寝返り」など、すべて「寝」になつてゐるのです。
勿論、一寸前までは、これらはすべて「寐」で印刷されてゐたものです。
何時頃からか、「寝」は「寢」の新字體であると同時に「寐」の新字體にもなつてゐるらしい。
岩波文庫の『草枕』を見ても、「寤寐の境」以外は、今ではすべて「寝」になつてゐます。
さういへば、堀辰雄の「十月」といふ小説は、「婦人公論」の昭和一八年一月號と二月號に分載されたのですが、「寝る」「寝坊」「寝不足」などの言葉が、一月號ではみな「寐」、二月號では逆に「寢」となつてゐました。
單行本では「寐」が「寢」に變つてゐるところもあり、「寐」の儘のところもあり、その遣ひ方は一定してゐません。
といふ事は、昭和一八年當時、「寐」と「寢」とは漱石の時代ほどには遣ひ分けが明確ではなくなつてゐたのか、作家が「寐」と書いても「寢」を拾ふ文選工がゐたといふ事なのか。
いづれにしても、今後はすべて「寝」になつてゆくのでせう。