仏教と漢文(個人的経験)

彌永信美(仏教研究家)


「専門は?」と聞かれると、「一応仏教学です」と答えることにしている。
「一応」というのは、筆者の場合、重要な留保である。
自分で言うのは妙なものだが、筆者は、やや特殊な経歴をもっていて、仏教学の専門的/正統的教育を受けたことがない。
というより、中等教育もまともには受けていない。
理由は単純。幼稚園の時から、いまでいう「登校拒否」、当時の「ずる休み」の常習犯(?)だったからである。
詳しく書くと長くなるのでここでは省略するが、フランスで16から21歳までの5年間を過ごしたのち、日本に帰ってきて、一人でフランス語の仏教学の本などをかじっていた。
その頃、あるきっかけから、フランス語による仏教語彙辞典『法寶義林』の編集に加わらないか、という話があった。
これは大変権威のある辞典で、筆者のような専門的知識がない人間がかかわるものではないと考えて固辞したが、「勉強になるからやってみなさい」という恩師ベルナール・フランク先生のことばに押され、はじめることになった。

  最初は漢文を見たこともなかったため、経典を開いてもほとんど何も分からない漢字の羅列だった。
そこで試みたのは、分からないまま、ただ漢文を書き写し、フランス語の翻訳などと付きあわせてみる、という作業だった。
それを数年間続けているうちに、いくらかは理解できるようになってきた。
とは言っても、漢文の読み下し方を習ったこともないし、中国語の発音を習ったことも(ほとんど)ないので、いまでも、読み下し文としても、中国語としても、声に出して読むことはできず、ただ1字1字目で追って「ム・ム・ム……」と「読んで」いくほかない。

  もっとも、こうした読み方は、一時代前の欧米の仏教学では、必ずしも珍しいものではなかったのかもしれない。
20世紀最高の仏教学者の一人、ベルギーのラモット先生は、大正蔵にふられている読み下しのための返り点のことを尋ねられて、「意味は分からないけれど、日本の坊さんがお経を歌うときに使う音楽の記号のようなものでしょう」と答えられた、というエピソードを聞いたことがある。
そのラモット先生は、インドの原典から漢訳された経典を読みながら、その場でそれを頭の中でサンスクリット語に翻訳し直し、そのサンスクリット語に基づいてフランス語に訳す、という離れ業をされていた、という。
筆者はサンスクリットを勉強したこともないので、そんなことは夢にも考えられないが、多くの欧米語訳の経典には、各術語にその原語に当たる(であろう)語が頻繁にカッコ内に付加されているので、たとえば「我」を見たら「ātman」が頭に浮かぶ、といった習慣はいくらか身に付いた。
これは中国仏教や日本仏教を学ぶ場合にはむしろ障害になることもあるだろうが、漢訳仏典からインド仏教を研究する時には無意味なことではないだろう。

 日本人である筆者に仏教漢文が比較的わかりやすいのは、日本語で一般に使われる漢字に仏教漢文に使われるものが割合多いということにも由来するように思う。(最初から中国語で書かれた本来の漢文を読み理解することは、筆者には非常にむずかしい。見たこともない字が非常に多いからである。)
仏教漢文は、日本語の構成要素という意味でも、重要なものと思われる。しかし逆に、日本語としての意味に引きずられて、原典におけるコンテクストを理解しにくくなってしまう、という難点もあるかもしれない。

  いずれにしても、筆者は自分が「一応」専門とする分野の原典を正確には読めない、というコンプレックスを引きずりながら、これからも分からない漢字の羅列と格闘していかなければならないようである。


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