Essay XIII
コンピューター利用による楚簡・楚系文字研究にむけて
岩本 篤志
包山楚簡とは1986〜87年、中国湖北省荊門市の戦国中期の墓 (包山2号墓。墓主は楚の左尹であった人物。紀元前316年頃埋葬)より出土した竹簡群である。
この竹簡は古代中国の長江中流域の楚の地域でつかわれていたひしゃげた特徴ある文字(楚系文字とよぶ)で書かれていた。
楚系文字でかかれた出土文字資料は解放前出土の楚帛書などすでにいくつか知られていたが、楚系文字が始皇帝の文字統一以前の文字であり、どのような文化のもとで形成され、後世にどう影響したのかほとんどわからないだけでなく、その字数・用例の少なさも手伝って字釈には多くの問題を残したままであった。
包山楚簡は楚系文字研究の豊富な資料として、また、そこに書かれていた楚の司法・祭祠に関わる重要な資料として注目されている。
1991年に文物出版社から包山楚簡の竹簡の写真と釈文・注釈を付したテキストが出版された。
また、同じころ、出版された楚系文字の字典とともに、これらは楚系文字研究と楚の地域文化の研究をおおいに進展させるものであった。
しかし、それら字典や釈文と竹簡の写真をよく比べてみると、釈文の異同が目立つし、また疑問を感じるところも少なくない。
1996年に出版された陳偉氏の著書『包山楚簡初探』(武漢大学出版社)は文物出版社本の竹簡の配列・字釈などについて多くの問題点を指摘しており、字釈が異なれば当然、竹簡の内容の解釈も大きく変わることを印象づけた。
この竹簡に書かれた内容を解読するためには何にもまして、釈文の確定が必須なのである。
さて、ではこの楚簡を読んでいくためにどのように資料の整理をすすめていけばよいのか。
その解決策の一つとして、2年あまりをかけて早稲田大学文学部工藤元男助教授と私を含む同研究室の院生、そして成城大学短期大学部の小澤正人講師によって、包山楚簡のデータベース(Windows95版)が制作され、1998年10月β版が完成した。
これを作成するに当たって我々が留意したことはこのデータベースをいかに楚簡・楚系文字研究に便利な道具とするかということであった。
楚系文字には現在の漢字の通行字体に当てるものもあるが、その多くはJISコードにもUnicodeにもないものである。
包山楚簡の総字数は約12500字であるが、楚系文字の一字索引によるとその用字数は約1730字と数えられ、そのうち、1150字が現行のJIS第1・第2水準には含まれていなかった。
すでに出版されている一字索引などを参考とし、楷書体と楚系文字体あわせてフォント作成は2881字におよんだ。
これをもちいて様々な研究成果を取り込んで竹簡と楚系文字のデータベースを作った。
「楚系」とはいえ、基本的に漢字と同一の原理で作られているといえる以上、「今昔文字鏡」のような部品検索は極めて有効であり、我々もこの方法を採用した。
しかし、このデータベースは完成した作品ではなく、いわばこれから書きあらためられていくノートであり、研究を促進するためのツールにすぎないと思っている。
依拠した楚系文字の一字索引の多くは字形と字義の関係を適切にわけずに楚系文字を整理・楷書化しているので、現在、我々はこれを逐一、分析し、やり直す作業に取り組んでいる。
そこで分析・議論をして、そしてまたデータベースというツールとして再結晶化させたいと考えている。
このような作業を進める際、すでに作られたツールは紙媒体以上の大きな力を発揮している。
それを検索することによって今までの字釈のどこがおかしいのか問題点が浮き彫りとなる。
もちろん、気づくかどうかは検索者によるが、
用例研究にコンピューターのような機械を利用しない手はない。
広く研究者に配布するときもCD-Rであれば書籍以上に検索に便利であるばかりでなく廉価でもある。
このような意味でコンピューターの利用はこれからの研究方法の一つとして積極的にすすめられていくであろう。
楚簡・楚系文字研究は1998年になって郭店楚簡の写真・釈文が公表され、また新たな段階を迎えた。
今回、包山楚簡に標的を絞り、特定のOS・ソフトに依存するデータベースを作ったが、次は世界中の楚系文字・楚系文化の研究者に利用できるような形での提供をするように努力したい。
このように夢は膨らむが、我々はこうした作業は慎重に進めてこそ、これからの漢字研究にも大きく貢献することになると考えている。