Essay VIII
国文学研究と漢字
相田 満
1.漢字の博物館
仏法東漸の終着点、東方文明・文化流伝の極東に日本は位置している。漢字は文化伝達のための共通言語として極東文化圏で採用されており、日本ではそれをさらに加工して、平仮名・片仮名を表音文字として創出・使用しているした。その結果、日本の文字文化は、漢字・平仮名・片仮名の三者を取り混ぜて使用する独特の文化圏となった。
日本の文字文化の特徴として、長い間使用される文字に制限・規制がなされなかったことがある。本格的な規制が行われたのは明治期に入ってからと言っても過言ではない。
したがって、それまでに日本に渡来し、使用され続けてきた文字の中には、則天文字のように、唐土においてはすでに使用されなくなったり忘却されたものが多数残存しており、今も使われている。
(
(#AtMark#)48944)
=年
圀
表1 則天文字の例
概して文化現象は、中央に発した後、辺地へと波及し、最後は辺陲の地で保存される傾向を持つという。漢字も同様で、日本は「漢字の博物館」でもあるとも言えよう。
2.国字
日本では、その長い受容の歴史において、新渡の字が取り入れられた結果、多種多様な字が混在することになった。また一方で、日本独自の漢字とされるものすなわち、「国字」というものも案出されて来ている。
国字とは、漢字の表意性や音を活かして日本で案出された文字で、中国の字書類に見えない漢字風の文字のことである。
新井白石『同文通考』巻之四凡例に、「国字トイフハ、本朝ニテ造レル、異朝ノ字書ニ見ヘヌヲイフ。故ニ其訓ノミアリテ、其音ナシ」とあるように原則的に訓のみで音はないという特徴を持つ。
国字は、十世紀末成立の『新撰字鏡』には約400字が登録され、近世期には80〜130字程度が通用していた。『大漢和辞典』には141字が収載されているが、『国字の字典』(飛田良文・菅原義三、東京堂、平2・8)では、1,553字の収録を見るまでになっているが、その完全な総数はまだ把握できてはいないというのが実状である。
3.未完の大漢和
日本最大の漢和辞典と言えば、諸橋轍次編『諸橋大漢和』だが、同書は前代に類例を見ない大規模な漢字辞典であったため、そこに収載される字を以てすれば、日本の漢字は必要にして十分であるとか、大漢和に収載されない字は誤りであるなどといった過剰な規範性を一部に生じるまでになっている。その最たる例は、かつてJIS漢字制定期に起こった、コンピュータで扱える情報交換用漢字の日本の漢字には、『大漢和辞典』収載の字を規格化すれば事足りるという考えであろう。
これは現行JIS規格の文字に大漢和未収載の文字が多数あることから考えても分かる誤解である。大漢和の親文字セットには、その選定時代・編纂資料から考えても現在通用の文字セットが親字に立てられていないという宿命的とも言える限界があるのである。
『今昔文字鏡』が大漢和辞典収載の全字を収載し、さらには漢字番号の重複等について訂補を施し、信頼するに足る段階にまで修訂したことは快挙であった。これにより、少なくとも単漢字については、漢和辞典を超える段階に進展させることが可能になった。それは取りも直さず、大漢和辞典を超える漢字辞典を構築する手段と可能性を我々は手に入れ始めたと言うことである。
『大漢和辞典』は、当初の構想では、現在のような大規模なものが目指されたものではなかった。いわば、編纂に携わって来た諸先学のこだわりによって、意図せざる成長を遂げた辞書と言えるものである。
『大漢和辞典』の跋文には、企画当初から大規模なものを目指すことが分かっていたならば、それなりの編集方針を立てて然るべき採られてしかるべきであった旨の述懐が記されている。
また、その編纂作業上、資料として採録しきれなかった分野の資料があることについても言及がある。この大漢和編纂の経緯と、編者の語る現大漢和の限界に留意することは、今後の「文字鏡」の方向性、さらには日本の漢字文化を考える上で重要なことではあるまいか。
そこで、大漢和辞典編纂において編者が傷みとした事柄をいくつか紹介しよう。
@日本漢文資料・国書など
まず、日本漢文からの採録が少ないことについての反省がある。
「邦人撰の詩文集は懐風藻・文華秀麗集・本朝文粋その他近世のものも一応は採録したがその数はなほ少ない。純粋漢和辞典を作るといふ最初の計画に禍せられたのである。」
大漢和辞典編纂時には日本漢文学は未だ十分な評価を得ていなかった。大漢和辞典には拠り所となった資料の書誌が記されてはいないが、「純粋漢和辞典を作るといふ最初の計画に禍せられた」という編者の発言は、今後に反映されるべきであろう。近年は、「邦人撰の詩文集」は影印本レベル・注釈・翻刻など多数の資料が公刊されつつある。現行大漢和を体系的に補完する資料としては、この種の資料からの追加・充実がまず求められよう。
また、漢字文化を考えるための資料とすれば、仏典(これについても、跋文にその採録資料が少なすぎたとの反省が書かれている。)の他、和文の混じったものを含めた国書全般を今後視野に入れるべきであろう。
たとえば、『国書総目録』をひもとくと、『大漢和辞典』に未収載の字が頻出する。
この種の文字で最も多いものは、いわゆる歌舞伎文字の類だが、
(
(#AtMark#)66117)伎 =歌舞伎
(
(#AtMark#)66106) =鹿子
などの文字は、よく見かけるもので、「文字鏡」にも登録されている。これらは、書名・演目に奇数文字を尊ぶという風習から案出された合字である。
その他の資料、特に注釈資料という国文学研究において未開の領域にかかる典籍でも典拠不明の文字は頻出する。
たとえば、私の研究に関わる分野で最近見つかったものに、
(チャク)という文字がある。
これは、北畠親房『職原抄』注釈書の内、足利学校を中心に流布した関東系注釈の中で、冠位十八階(本来は十二階だが、関東においては十八階説が採られていた)の冠の色の一つに記されているものである。他に同定可能な文字もなく、資料にはフリガナも付されて伝承されているので、新しく登録するべき字かもしれないと考えている。(編集註:文字鏡番号66959として登録いたしました。)
この種の文字は、研究を深めればまだまだ多数現れるであろう。これは国文学研究者の課題である。
A類書など
他に、跋文では、万巻典籍のアンソロジーとも言える類書(古代的百科事典)からの採録が博捜が足りなかったことにもふれている。「なほ此の辞典が若干事典の性格を帯びたとせば、中国に於ける類書は更に多く捜羅すべきであった。佩文韻府・淵鑑類函・事物紀原・海録砕事など一応は採録したが、太平御覧・冊府元亀・古今図書集成など一千巻以上に及ぶ鉅篇は問題の起った場合にのみ参酌するに止めた。」
筆者は現在『和刻本類書集成』(汲古書院)という書の索引作成作業を進めているが、ここにも文字鏡未登録の字が多出する。ユニコードフォントセットの使用できるアプリケーションの登場が遅れたこともあって、作業は遅々として進まないが、軌道に乗れば相当数の文字数が報告できるであろう。
B日本近代文学の資料
活字印刷が主流となった明治期以降の日本文学作品も実は漢字・語彙資料の宝庫である。夏目漱石は、独自の字を造ったと言われるが、それが果たして妥当性を持つことなのかどうかは、日本の文字資料を詳細に分析しなければ断言できないかもしれぬ。少なくとも文字鏡で再検証する価値はあるだろう。
また、漱石に限らず、印刷・出版という営みを通して、営々と生み出された文字セットの遺風を文字鏡に写し取ることも必要である。
4.おわりに
このように、文字鏡の進展は単に字が使えるという段階にとどまらず、漢字を中心とする文字文化の総体を再検証する恰好のツールになろうとしている。
テキスト全文の情報を文字・語彙のレベルで分析可能とするためには、逐次情報の電子化のための基盤整備が必須である。そのためには、文字レベル(単漢字)からさらに進んで、単語レベルで漢字情報を管理できるインフラストラクチャーが必要になる。
今昔文字鏡は多くの人に育てられながらますます成長して行くだろうが、出来得るならば、字典から辞書へと発展する世界であることを期待しているのは私だけではあるまい。
以上、卒爾ながら一文を認めた。時間的関係で十分意を尽くせなかったことをお詫びしたい。