Essay VII
字音假名遣を學ばう
高崎 一郎
【要旨】
【本文】
歴史的假名遣なら「今昔文字鏡」は「コムジャクモジキャウ」である。
昭和二十一年まで公に正しいとされてきた歴史的假名遣は、それなりの理論的背景や意義を備へてをり、故福田恆存氏を始めとして、その復活を願ふ聲は今でも決して小さくはない。
しかし字音假名遣(漢字の歴史的假名遣)になると、誰しも扱ひあぐねてきた。理由は至って明白である。
「鏡」が「キャウ」「キョウ」「ケフ」のどれであったか憶えきれない。
漢和字典や國語辭典には必ず括弧つきで「キョウ(キャウ)」などと表示はあるのだが、その仕組みを解説した教科書は寡聞にして知らない。
かほどに冷遇された綴り方に、何故改めて著目するのか。
それは『漢字音の變遷の一端がよく理解できる』からである。
完全な機械的記憶は無理でも、構造がわかれば漢字音がよく見えてくるのである。
しばらく個人的な話が續く事をお許し願ひたい。
學生時代、初めて北京語を學び始めた頃に、時として北京語が字音假名遣に似てゐる事が氣になってゐた。
「上海(ジャウカイ)」は「shang-hai」、「快(クヮイ)」が「kuai」だから、ちゃんと「カイ」「クヮイ」を發音しわけてゐる事になる。
もう少し授業が進み、日本人なら誰でも苦しむ「-n」「-ng」の區別について、意外にも日本漢字音が目安になると習ひ、興味は更に深まっていった。
この時習った「-n ← -ン」、「-ng ← -ウ、エイ」といふ法則は今に至るまで重寶してゐる。
それまでは講師の先生が「北京語は日本語と違ふのだから、ちゃんと習ひたいなら、日本語からの連想は止めなさい」と何囘も強調してゐたのに、やはり「同文同種」なのかなと面白かった。
北京語の源流は何か、また漢和字典にある漢音呉音の根據は何か、いろいろ調べた末に「廣韻」といふ隋唐時代の漢字音字典に辿り著いたのは、しばらく經ってからである。日本はおろか朝鮮越南を含めて、漢字音の多くはみな此處を源流としてゐた。
たまたま中國の版圖が飛躍的に廣がったのが唐代であり、この時期に多くの地域に漢字音が傳播したためでもあるし、逆に後世の人が人工的に發音を矯正したためでもあるらしい。
とりあへず廣韻は確實に遡れる最古の漢字音の文獻であり、字音研究の際には先づ比較對照の出發點となる。
日本漢字音の内では、特に漢音が廣韻の分類枠と比較的よく一致する。
周知の如く、日本語の音構造はとても單純で、複雜微妙な漢字音を寫しとるには全く以て不向きである。
ただ、漢字音の傳來からしばらくして、日本人の祖先が假名といふ表音文字を用意してくれたお蔭で、不十分ながら一千年以上前の發音の構造を體感できる。
これをつまらぬ事と感じるならばそれまでであるし、素晴らしいと思ふなら字音假名遣を理解しつつ憶えてゆく價値があるのではないか。
「-n」と「-ng」の話に戻らう。
日本以外の多くの漢字圈では重要な發音の相違なのに、日本人には何とも把握しづらいところである。
現代の北京語で大袈裟に描寫すれば「-アヌ」「-アング」などとならうか。
ところが意外な事に、古代日本人もそのやうに受け取ってゐた節がある。
「相模(サガミ)」「當麻(タギマ)」「愛宕(アタゴ)」などの地名や「雙六(スゴロク)」などは、「-ng」を悉く「-ガ行」にしてゐる。
さうかと思ふと、「安房(アハ)」「美濃(ミノ)」「能登(ノト)」など、「-ng」部分を落してしまった例も多い。
「-n」の方は「信濃(シナノ)」「因幡(イナバ)」「讚岐(サヌキ)」「難波(ナニハ)」や「縁(エニシ)」「錢(ゼニ)」など、「-ナ行」である。
これがやがて「-ン」で安定し、現在まで全く變はらない。「-ng」の方は漢音・呉音で「-イ・-ウ」となり、更に近世の唐音以降は「-ン」になってしまった。
「經(キャウ・ケイ・キン)」などは典型例である。
現代の地名人名なども同樣で、「上海(シャンハイ)」「烏龍(ウーロン)茶」など枚擧に暇ない。
「翁倩玉(ジュディ・オング)」のパターンは先祖返りのやうでむしろ珍しい。
中國語そのものが變化した可能性も否定できないが、「-ng」の扱ひがこれほど變はるといふ事は、日本人にとって如何に把握しにくい發音であるかを物語ってゐるといへよう。
頭では一所懸命に「ディー」と思ひつつ、口ではつひ「デー」と言ってしまふやうなものかもしれない。
さて、以上の例だけでどれだけ字音假名遣が推測できるか。
「相(シャウ・サウ)」「當(タウ)」「宕(タウ)」「房(バウ)」「能(ノウ)」「登(トウ)」「濃(ノウ)」「上(ジャウ)」「龍(リョウ)」とわかるだらうか。
もちろん「翁(オング→ヲウ)」など、あまりうまく行かぬ例もある。
「-ng」は拗音形の場合に「イャウ」「ヤウ」などの形をとり、「エウ」「エフ」とはならない事も憶えておいてよい。
「エフ」を「ヨウ」と讀むのは、現代人の感覺として最も理解しがたい假名遣かもしれない。
なぜなら「歴史的假名遣が如何に難しいか」を揶揄する時に、必ず「蝶々(テフテフ)」が引合ひに出されるからである。
和語の「今日(ケフ)」も同じ形であるのに、こちらは何故かお構ひなしである。
香港の女優「葉蘊儀(グロリア・イップ)」から「葉(エフ)」が何となく導けるやうに、漢字音の「-フ」は、もと「-ップ」とつまる音であった。
それが「-ップ→エフ→エウ→ヨウ」といふ、今では似ても似つかぬ發音になったのである。
それでも痕跡はいろいろ殘ってゐるもので、愛知縣知立(チリフ→チリュウ)市の別名は池鯉鮒(チリフ)であった。
もっと驚かされるのが「盍(カフ)」の字である。漢文の助詞で「盍」を「なんぞ〜せざる」と習ったのを記憶されてゐるであらうか。
この漢字は本來「何不(カフ)」と二文字に讀むべきものであるが、それが次第に早口となり、遂に漢字一文字に短縮されたのである。
かやうな例をいろいろ組み合せてゆくと、字音假名遣のうち半分近くは理解しつつ記憶も可能である。
また北京語を知ってゐれば九割方は導ける。
ただ、かういった「語源探索」には興味があっても、現代の我々が一千年前の綴り方を保持する事に意味を見出せない、といふ意見もあらう。
これこそ正に戰後の國語改革の精神であった。
頭から現代假名遣を否定するつもりはないが、歴史的假名遣は未だ「生きて」ゐるシステムであり、方法によっては「活かし」てもゆける存在でもある。
それに比べると、例へば上代特殊假名遣や定家假名遣は、完全に專門の研究者だけが取り扱ふ領域であり、明らかに日常生活からは「死んだ」ものといへよう。
本稿のやうな調べものをする時、從來の冊子形式の資料だとあちこちページを繰る必要があり、一覽對照表などを作るためにかなりの勞力を要した。
何か法則めいたものの存在を感じても、該當する漢字を全部確認するのは全くもって容易ではなかった。
しかしこれからは「今昔文字鏡」のやうな漢字データベースを活用する事により、樣々な方向からの俯瞰が瞬時にできる。
あるいは漢和辭典は電子化の恩惠を最も多く受けるのではないだらうか。
そのささやかな成果の例として、北京音と字音假名遣の對應規則を示して終りとしたい。
| <ぢ・づ> | d,t,zh,ch,n, | ||||||
| <じ・ず> | j,q,zh,ch,sh,z,c,s,r,er,x | ||||||
| <あう> | 江 ang, | <おう> | 通 ong, | <いう> | 流 ou, | <やう> | 宕 ang, |
| 宕 ang, | 曽 eng, | <ゆう> | 通 ong, | 梗 | eng,ing, | ||
| 梗 eng,ing, | 流 ou, | (遇 u,yu,) | <えう> | 效 ao, | |||
| 效 ao,(漢) | 效 ao,(呉) | <いふ> | i, | <よう> | 通 ong, | ||
| <あふ> | a , | <おふ> | i,ie, | <えふ> | ie, | 曽 eng, | |
【江、宕、などとあるのは「江攝」「宕攝」の略で「十六攝」の所屬を示す】